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「ふーん、おもしれー女。」
これは、たった今、シンデレラストーリーが始まったことを告げるゴングの音である。
同時に、確約された勝利を祝う鐘の音でもある。
一見冴えない平凡な女子が、ある出来事を通して「おもしれー」認定をされたことをきっかけに、学校一モテる男子から寵愛を受けることになる。
少女漫画お約束の展開だ。
一度「おもしれー女」認定されたヒロインが悲劇的な末路をたどることはまずない。
恋愛関係おいて、「おもしれー」フィルターのかかった女は、いわばスター状態だ。
何があっても絶対にうまくいく。無敵なのだ。
そもそも「おもしれー女」なくして物語は進まない。
この世界は「おもしれー女」によって回っているのだ。
それにしても、誰もが羨む激モテ美女が、見下しているちんちくりん女に惨敗し、打ちひしがれる姿はいつ見ても痛快である。
いつかの屈辱、無念、苦い思い出が洗い流されるような気分になる。
「おもしれー女」とは、あらゆる恋愛で敗北、自滅を繰り返し、自信喪失しきった我々非モテ女たちの夢であり、希望の光なのである。
しかし、これはあくまで少女漫画の世界―モテない女がモテない女のために都合よく歪めた理想の世界 の話である。
では、モテない女にとことん冷たいこの現実世界で、激モテイケメンが激モテ美女を差し置いて「おもしれー女」を選ぶなんてことはありうるのだろうか。
長年非モテサイドの人間として生きてきた筆者は、この問いを立てるやいな、じんわりと絶望感に包まれていくのを感じた。
なぜなら、当たり前の話だが、激モテイケメンに愛されたことも、激モテ美女に勝てたことも、一度だってないからだ。
というか、勝負しようと思ったことすらない。
全て不戦敗である。
そもそも「激モテ美女が目をつけるような男性」を好きなること自体あってはならない。おこがましい。
そう言い聞かせてきた。
逆に言えば、まだ完全に打ち負かされたことは一度もないのだ。
その消極的な自信ただ1つによって、今の私は保たれている。
しかし、本当にこのままで良いのだろうか。
いいな、と思った人を素直に好きになりたい。
自由に恋愛がしたい。
自信を持ってアプローチしたい。
ならば、残された道はただ一つ。
やはり「おもしれー女」になるしかないのだ。
勝てるか勝てないか、ではない。
勝つ方法を見つけようじゃないか。
…と、熱が入りすぎてネットワークビジネス勧誘サイトのテンプレみたいになってしまったが
そんなわけで筆者は、全国のモテない女たちの希望を背負い、人生逆転劇の第一歩を踏み出したのであった。